2011年4月20日水曜日

地震の時 2

帰宅して家族の無事を確認したあと、買出しに行きました。
うちは大人5人家族なのと、義母があまり冷蔵庫に物をためない主義なので
食材があまりなかったのです。
余震の恐怖もあり、できれば調理しないで済む物が欲しかったですし。

防災用品の供えの大切さを、地震が起きてから知ってもね。
反省。

とりあえず、自宅から100mほどのスーパーへ。
「本日は臨時閉店いたします」
…ですよねー。

どうしたものか。

市内最大手のスーパーならやってそうだ。
道路はすでに混んでいる。
歩いていくのはいいけれど、往復で時間がかかる。
帰りが遅くなると家族が心配するだろう。
電話も通じないし。

とりあえず、数百m先の産直系スーパーへ行ってみようと歩き出す。
すれ違った奥様方の話では市内最大手のスーパーも臨時閉店しているという噂。
ががーん!
最終的にはそのスーパーしかないと思ってたのに。

とりあえず、産直系のスーパーを目指そう…
や、やってる!!

 多少、商品の崩れがあったようだけど、やってる!!
 野菜と、今晩のための惣菜、翌朝のためのパンを買う。
レジを通って袋詰めしていると、お客の流れがきれたので
レジのパートさん同士が話をしている。
「なんで閉店にしないのかしら?」
「家や家族が心配よねぇ。」
と。

なんだかのんびりした会話だったけど、
働いててどんな被害が出ているか知らなかったのだろう。

なんだか申し訳ない気持ちになり
「あっちのスーパーは閉まってて、
こっちのスーパーも閉まってるって話で困ってたんです。
ここが開いてて本当に助かりました。
ありがとうございます。」
と頭を下げて帰ってきた。

買い物を済ませて帰ると義父も帰宅していた。
旦那は「今、船橋。でも全然進まない」と連絡が。
 帰りがいつになるかわからないので先に夕食を済ませた。
その後4時間以上経って帰って来た。
普段なら1時間かからないのに。

 どうしても、テレビに見入ってしまう。
 画面の中の揺れ、津波、火災。
地震から何時間も経っているのに解除されないどころか範囲を広げる津波警報。

 茨城県の北部と、福島に親戚がいる。
連絡はつかない。 
171も、この時点ではまだ開設されていなかった。
ただ、心配するしかできなかった。

この日の晩は、寝床に入るも眠れるはずもなかった。

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