2011年4月26日火曜日

作ったバッグたち

 手提げ

 手提げ(小)

 ななめ掛け

ん~。
改めて写真でみると曲がってるところがあるのがわかる…。
 マチ針打って、しつけしてミシンかけてるのになんで?
根性が曲がってるから???

2011年4月25日月曜日

みつからない

被災地へ送るバッグ作っていますが、
「バッグの中に被災者へのメッセージを添えてください」とのこと。

送り先の予定は宮城県の
山元町
亘理町
石巻
気仙沼
の予定だそう。

どんなメッセージにしたものか。
「頑張って」は違う。「元気出して」もなんだかなぁ。
「早く元の生活ができるように」?

うーん。

ニュースや新聞の写真を見ると、何も言えなくなってしまう。
亘理町の様子。

どうしよう。
みつからない。
言葉が。

2011年4月22日金曜日

被災地へ手づくりのバッグを!!

ここ数日、せっせと↓を作っております。

Gran-Bag プロジェクト

私、お裁縫上手じゃないです。 
好きですけど。
本当に、下手の横好きで。
だから、その分心を込めて。

今時、100均でだってそこそこのバッグが買えます。
そこをあえて、手作りを届けようという趣旨に賛成します。

わずかな事しかできないけれど。
気持ちはきっと届く。
そう信じて。




2011年4月20日水曜日

地震の時 2

帰宅して家族の無事を確認したあと、買出しに行きました。
うちは大人5人家族なのと、義母があまり冷蔵庫に物をためない主義なので
食材があまりなかったのです。
余震の恐怖もあり、できれば調理しないで済む物が欲しかったですし。

防災用品の供えの大切さを、地震が起きてから知ってもね。
反省。

とりあえず、自宅から100mほどのスーパーへ。
「本日は臨時閉店いたします」
…ですよねー。

どうしたものか。

市内最大手のスーパーならやってそうだ。
道路はすでに混んでいる。
歩いていくのはいいけれど、往復で時間がかかる。
帰りが遅くなると家族が心配するだろう。
電話も通じないし。

とりあえず、数百m先の産直系スーパーへ行ってみようと歩き出す。
すれ違った奥様方の話では市内最大手のスーパーも臨時閉店しているという噂。
ががーん!
最終的にはそのスーパーしかないと思ってたのに。

とりあえず、産直系のスーパーを目指そう…
や、やってる!!

 多少、商品の崩れがあったようだけど、やってる!!
 野菜と、今晩のための惣菜、翌朝のためのパンを買う。
レジを通って袋詰めしていると、お客の流れがきれたので
レジのパートさん同士が話をしている。
「なんで閉店にしないのかしら?」
「家や家族が心配よねぇ。」
と。

なんだかのんびりした会話だったけど、
働いててどんな被害が出ているか知らなかったのだろう。

なんだか申し訳ない気持ちになり
「あっちのスーパーは閉まってて、
こっちのスーパーも閉まってるって話で困ってたんです。
ここが開いてて本当に助かりました。
ありがとうございます。」
と頭を下げて帰ってきた。

買い物を済ませて帰ると義父も帰宅していた。
旦那は「今、船橋。でも全然進まない」と連絡が。
 帰りがいつになるかわからないので先に夕食を済ませた。
その後4時間以上経って帰って来た。
普段なら1時間かからないのに。

 どうしても、テレビに見入ってしまう。
 画面の中の揺れ、津波、火災。
地震から何時間も経っているのに解除されないどころか範囲を広げる津波警報。

 茨城県の北部と、福島に親戚がいる。
連絡はつかない。 
171も、この時点ではまだ開設されていなかった。
ただ、心配するしかできなかった。

この日の晩は、寝床に入るも眠れるはずもなかった。

2011年4月6日水曜日

地震の時。

 3/11の14:46。

 会社の事務所にいました。
 最初は、ゆら~ゆら~っとしていて、二日前の3/9、11:45にあった、
三陸沖が震源の最大震度が宮城で5弱の地震の地震と似ていた。

このゆら~っと感は、眩暈を起こしたような、船に乗って揺れている様なもの。
で、「この間と同じ揺れ方だなぁ。」なんて余裕こいてた。
本震がくると、プレハブの事務所がもの凄く揺れた。 
 ブラインドが壁に当たって、「ガッシャンガッシャン」とうるさい。

地震って通常、長くても十数秒じゃないですか。
私のデスクの周りは落下してくるようなものも、倒れるような棚も近くにないし、
事務所は平屋だし、と座ったまま様子みてたんです。
ツイートしながら。(←おいっ)

そしたらおさまるどころか揺れは酷くなり、
事務所にいた一部の人は外に出ました。

私はなんだか外に出るタイミングを逃してしまい、
 とりあえずデスクの下に。

地震体験ハウスみたいに揺れる。
向かいの杉林がユッサユッサしてて、
「ああ、花粉がもの凄く飛んでる…」とか呑気にも考えてました。
多分、起きてる地震の大きさを理解しきれなかったんだと思います。

数分して揺れがおさまったところで、ネットで確認すると震源は三陸沖という。
P波からS波まで間があったので震源は遠いだろうと予測していた物の。

 速報でM7.9。 (後にM9.0に修正)
関東大震災に迫る規模じゃないか、と思っていたら
15:15にまた大きな揺れが。
流石に今度は外へ出ました。
同じ震源かと思ったら今度は茨城県沖…。

ツイッターで「USTでニュースを中継してる」と読んで見てみると
 津波が高い堤防を越えて田んぼに入っていくところでした。
映画でしか見たこと無い光景でした…。


私は仕事で電話を使うので、繋がらなければ仕事にならないし
 この状況で通常業務ができるわけもないので早退に。

いつもは混雑を避けたルートを走ってます。
状況が状況だけに倒木などがあるかも?と混んでても大通りを行くか悩みました。
しかし、何かあったときの迂回ルートがわからないのでいつもの道を行く事に。

ちょっと走ってびっくり!
信号が消えてる!!
事務所が停電しなかったので、千葉県一帯は大丈夫なものと思い込んでいたのです。
「こりゃ、国道右折とか無理なんじゃ?」と思いましたが
みんな譲り合っていて、心配したほどではありませんでした。

早退してよかったです。
この後、17時~19時などの帰宅時間帯も停電が続き 
通常15分のところを2時間半など、もの凄い渋滞だったそうです。

自宅へ着くと義母と祖母も無事でした。
主人や義父とも連絡が取れ、やっと安心しました。



twitterアカウントを入力すると、地震前後のつぶやきが表示されます。
期間限定だそうです。

 
私の地震前後ツイート(一部抜粋)

2011年4月4日月曜日

ベビーカーのポップアップカード 作り方

ベビーカーのポップアップカードの型紙はこちら

さて、作り方です。

まずは切り取ります。

支えパーツのをのりしろを谷折りします。
ちなみに、色がついている方が台紙側ののりしろです。
真ん中の線で山折りしたら、色のついてない側にのりをつけて接着します。

こんな風になります。


本体パーツ、上記写真の赤線部分を谷折りします。もう一つも同様に折ってください。
折ったところ。

支えパーツの高さを測ります。(のりしろは含みません)

 測った高さを、本体パーツ裏側に線引きします。(のりしろ含まず)

底パーツの中央(赤点線)を山折り、のりしろ部分(赤実線)を谷折りします。

中央の六角形部分にのりをつけ、支えパーツを接着します。

支えパーツの色のついてない方と、です。

底パーツののりしろにのりをつけて、

線を引いたところに合わせて接着します。

反対側も接着します。

本体のりしろ部分にのりづけして、本体パーツどうしを接着します。(両側とも)

幌パーツは半分折りに下後、カールをつけておくといいです。

幌下パーツの上側(赤線部分:二つ折りの状態で、90度の角が下側)にのりをつけて
幌中パーツで下パーツを挟むように接着します。

この様に。

中パーツにのりを塗り、幌上パーツを接着します。

下パーツの下部分にのりを塗って、本体パーツ内側に接着します。


ハンドルパーツを点線部を山折り、実線部を谷折りします。

こんな風になります。

四角いのりしろ(折りたたんだ時に外側に来る方)にのりを塗って、本体内側に接着します。

台紙に、支えパーツから接着します。
調整しながら本体ののりしろ(車輪の下部分)を接着します。
完成!!
ハンドル部分がもうちょっと開くようにしたいなぁ。


外側が真っ白なので、折り紙貼ったり、絵を描くといいんじゃないでしょうか。

自己紹介

自分の写真
たくさん趣味はあるのに、どれも中途半端になってしまう私mugの制作物を公開しています。 主にイラストやペーパークラフト、ちりめんのつまみ細工をしております。