2014年9月3日水曜日

じいさんの思い出

ミニチュアで思い出した。

母方のじいさんは、よくミニチュアの凧や独楽、掛け軸なんかを作ってくれたっけ。

凧は1cm×1cmくらいでも、きちんと糸目が合わせてあって
団扇なんかで風を送るとちゃんと浮いた!

絵も描く人で、自分の車に昔の海岸の景色を描いて
ちょっとした名物じいさんだった。

料理も出来たし、刀剣集めてたり、
思えば何でもする人だったなあ。


若い頃は東京で暮らしていて、2・26事件の青年将校たちを見た!とか
昔の自動車免許の試験は
「前進!良し!後退!良し!合格!」で終わりだったとか、
その試験の時に下駄を履いて行ったら怒られたとか、
今上天皇のご成婚パレードの時に
あまりの人出で橋から転落。
でも警察には「もう仏だ。手が足りないからゴザかけて後で処理しよう」
と放置され、あやうく死人にされるところだったとか
とにかく面白い話満載の人だった。


私の記憶の中では釣りが趣味で
一日中釣り竿垂れてる人だった。
「今日はシャコが釣れたぞ!母ちゃんの好物だ!」とか。


ばあさんとはしょっちゅう喧嘩してて
子供だった私は
「仲悪いんだなー」
と思っていた。

実は「喧嘩するほど…」の典型だったんだけど。


じいさんとばあさんの馴れ初めは、
ケガだか病気だか、とにかく入院したじいさんへの見舞いを
「私らお見舞いにいけないから、あなた代わりに行ってきて?」
と両親から遣わされたのがばあさん。

遠縁らしいのだけど。
要はお見合いだった。

後日、のちの仲人に
「おい、このあいだ見舞いに来たおシゲちゃん、もうらう気あるか?」
と聞かれたじいさんは
「えっ!?はい!!」と答えて縁談が進んだらしい。


ばあさんは、晩年ボケてしまった。
じいさんは毎日病院へ通ってせっせと世話をしていた。
口では文句言いながら。

ばあさんが亡くなった後、じいさんはお気に入りの写真を元にばあさんの似顔絵を描いた。
と、言っても大層なものではない。
5cm四方くらいの、ペンで描いたもの。

いくつもいくつも描いた。

「これは目が似てる」
「こっちは雰囲気が出てる」

そうやって描いた似顔絵をたくさんたくさん、障子に貼り付けていた…



殺しても死ななそうな元気なじいさんだったのに、
ばあさんが亡くなって約3年後、心筋梗塞であっけなく亡くなってしまった。

多分、空の上で二人で喧嘩してることだろう(笑)




父方の祖父母の話はこちら

0 件のコメント:

自己紹介

自分の写真
たくさん趣味はあるのに、どれも中途半端になってしまう私mugの制作物を公開しています。 主にイラストやペーパークラフト、ちりめんのつまみ細工をしております。